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伊藤尚美さんが出会った村の光と色【前篇】

ある時は紙の上に、ある時は布の上に、みずみずしく抒情豊かな色彩の世界を繰り広げる作家・伊藤尚美さん。出産を機に大阪から三重県伊賀市へアトリエを移して以来、不思議な縁に導かれるように、お隣の南山城村にも少しずつ友人が増え、親密な付き合いを続けています。そんな伊藤さんを村にお招きした2日間。村の伝統行事「田山花踊り」や、初めての柿渋染めをともに楽しんだ記憶は、今もあふれる色と光に包まれています。

伊藤尚美さん(水彩画家・テキスタイルデザイナー)

三重県生まれ。1994年の初個展以降、大阪・東京・パリにて活動を始める。2002年、水彩作品をファブリックに展開する 「nani IRO Textileをプロデュース。
2010年伊賀上野に拠点を移してからも、国内外の多彩なプロジェクトに参画している

お祭り前のワクワク感に包まれた村を歩く

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「おはようございまーす!」
 

待ち合わせの「やまなみホール」前、深紅のシルクワンピースに身を包み、満面の笑顔で車から降り立った伊藤尚美さん。前日の深夜にようやく東京出張から帰りついたばかりだというのに、そんな疲れも感じさせません。

今日は11月3日、京都府の指定文化財でもある村の伝統行事「田山花踊り」が行われる日です。さっそく車で田山地区へ。祭りの舞台となる旧田山小学校や諏訪神社では、13時からのスタートに備えて準備をする人たちのソワソワ・ワクワクした高揚感が辺り一面に満ちて、こちらにまで乗り移ってくるようです。

村にはこれまでに何度も遊びに来ているという伊藤さんですが、田山地区を訪れるのや花踊りを見るのは今回が初めて。お祭り前のひととき、スケッチブック片手にそぞろ歩きを楽しみます。

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旧田山小学校の講堂を覗くと、踊り手たちがまとう装束が人数分用意され、三々五々、各自の飾りつけを始めています。踊り子が背負う棒状の飾りはシナイと呼ばれ、五穀豊穣を願うシンボルなのだとか。てっぺんに花を差すと、その高さは2メートルにも及びます。

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講堂を覗いたついでに、同じ敷地内にある旧小学校舎を再利用したものづくり施設「は・ど・る」にもお邪魔。この旧校舎は、2003年に廃校になってしばらくは荒れ果てるがままになっていましたが、さまざまな人の協力のもと清掃や修復作業を行い、「は・ど・る」として生まれ変わり、木工・ガラスなどの工房や、地区のお年寄りたちによる「田山伝承クラブ」の活動拠点となってきました。さらに2009年に「Caféねこぱん」がオープンして以来、かつての木造校舎の趣をそのまま活かした空間は、すっかり村の人気スポットとなっています。

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「子どもたちの卒業制作の絵とか、“えがおであいさつ”っていう標語とか、昔の小学校時代のものを、捨てないでそのまんま残しているのが、いいよね」
 

そう言いながら、かつての名残をいとおしげに見つめる伊藤さん。「田山伝承クラブ」の部屋に入ると、壁には村伝承の手作りしめ縄がずらり。藁をより合わせ馬などをかたどった、つつましく素朴な装飾品に足を止めて見入っては、スケッチブックにペンを走らせる伊藤さんです。

秋の彩りが詰まったお弁当を食べながら、伊藤さんとおしゃべり

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そろそろ正午も近づいてきた頃、田山地区にある移住交流スペース「やまんなか」の2階をお借りして、〈山のテーブル〉特製のお弁当でお昼ごはんに。
「いただきます」と蓋を開けた瞬間、「わあ!」と伊藤さんから歓声が漏れます。

「色と味覚の重なり」をテーマにしたお弁当の中身は、村の猟師さんが仕留めた生の鹿肉のカツレツや、大豆のうま煮、菊花入りおから、手作りこんにゃく、村で採れた原木しいたけや野菜など。花踊りの踊り手がまとう衣裳をイメージした世界が詰まっています。

 

「色合いがすごくきれいで、愛情いっぱいの玉手箱みたい!鹿肉のカツレツ、臭みが全然なくてすごくおいしいし、この新米も最高。私が住んでる伊賀も米どころだから、いつもツテでいただくお米がとってもおいしいんだけどね」

 

出産を機に、活動拠点を大阪から故郷の三重県伊賀市へ移した伊藤さん。田舎で子どもを育てよう、と最初に言いだしたのはご主人だったそうです。
 

 

「土地を探し回るのに2年かかったんだけど、さんざん迷ってようやく見つけた土地は、結局実家の隣だったという(笑)。アトリエの窓の外が一面の土手で、向こうに田んぼが広がってて、その眺めが気に入ってるんです。朝の光が差す時間がとてもきれいで。私の絵もテキスタイルも、自然のものを描くことが多いから、やっぱり環境は大事ですよね」

 

 

そんなおしゃべりをしながらお弁当を食べている最中も、

「あっ!今のこの!この食べかけの景色がきれい!」

と箸を止め、白いごはんに紅が散ったお弁当箱を眺めてしばしうっとり。伊藤さんのセンサーはふとした瞬間の色の美しさも見逃さず反応します。きっと幼少の頃から絵筆に慣れ親しんできた人なのだろうと思いきや…。

 

 

「小さい頃からずっとピアノをやっていて、10代の頃は音楽の道に進みたいと思ってたんです。でも音楽の世界で生きていくむずかしさを悟って、迷った挙句に進んだのが大学の美学美術史学科。だから私がちゃんと絵を描くことと向き合ったのは、大学を出てからかな。20代はアルバイトしたりイラストの仕事を受けたりしながら、水彩画を描く生活を送ってたんですが、20代の終わりに1冊の絵本をまとめて、それを何人かの方にお渡ししていたら、そのうちの一冊がたまたまテキスタイルの会社に回っていたんです。それでその会社からテキスタイルをやりませんかというお誘いがあって。naniIROはそこからです。後になって“そういえば…”と気づいたのが、うちの母方の祖父も紳士もののテキスタイルデザイナーだったってこと。子ども心にも、おじいちゃんの家にスワッチ(生地見本)がいっぱい転がってた記憶が残ってるんですけど、何か不思議な縁を感じますね」

色が舞い、光が踊る、田山花踊りの始まり

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そうこうしているうちに、太陽はもう真上へ。衣裳を身につけた人々が旧田山小学校の校庭に集まり、花踊り本番の始まりです。裃をつけた武家衆を先導役に、花笠をかぶった歌い手たち、ほら貝を持った山伏、シナイを頭上高く背負った踊り手たちが居並ぶ眺めが、遥かな昔と今をつなぐように私たちの眼前に迫ってきます。子どもたちも「棒振り」「ササラ」「いりは太鼓」などそれぞれに役割を与えられ、唇に紅をさし身づくろいを整えて、お祭りの一員に加わっています。

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そもそも田山花踊りとは、江戸時代中期に始まったとされるこの地域の雨乞いの神事。その後大正時代に一度は途絶えたものの、1963年に地域の保存会のみなさんの尽力で、五穀豊穣を祈るお祭りとして復活を果たしました。歌も振り付けも衣裳も、残された記録と、当時を知る長老たちの記憶を頼りに、ひとつひとつ蘇らせていったのです。

校庭を出発した一行は、ほら貝といりは太鼓、子どもたちの「ヤーハー!」という掛け声に導かれ、通りを練り歩きながら諏訪神社をめざします。天狗や道化が、道路わきで見守る人々におどけて見せる姿も。伊藤さんの前にも天狗がやってきて、おもむろに駄菓子を差し出します。

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神社に到着した一行は、鳥居をくぐって境内への階段を上ります。神夫知(しんぶち)と呼ばれる少年が太鼓の上に登って口上を述べると、いよいよ神前奉納の始まり。輪になって何度も回転しながら踊る人々の顔には次第に汗がにじみ、なんだか見ている私たちの意識も別世界へと連れていかれそうです。

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2曲を舞い終える頃には、秋の日差しも少し傾き始め、祭りは最後の餅まきへ。神主さんらがまく餅を、人々が手を伸ばしてキャッチ!境内は大役を終えた演者たちと見物客の笑顔が入り混じり、 あたたかな空気に包まれました。

 

「踊りの人が、鳥居をくぐって階段を上っていくのを見た時、なんだかぐっときちゃった。何か見えない境界を超えていくような感じがしたっていうか」

 

と伊藤さん。後日談によれば、伊藤さんが受け止めて持ち帰った紅白餅のひとつから5円玉が出てきたそう。餅まきに使われる餅のうち、たった1個にだけ5円玉をしのばせてあるらしいとは聞いていたのですが、まさか伊藤さんがそれを手にしたとは!村から伊藤さんへのサプライズな贈り物のように思えてきます。

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諏訪神社に別れを告げた私たちは、夕日が落ちる前に茶畑の景色を見に行こうと車を走らせました。一面に広がる雄大な茶畑に深呼吸して、ふと足元に目をやると、枝から折れて落ちた茶の花が。茶の木がツバキの仲間であることを思い出させる、可憐な姿。伊藤さんはそっと拾い上げ持ち帰ります。

そして日を改めて、次なるお楽しみ「柿渋染め体験」が私たちを待っているのです。

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