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伊藤尚美さんが出会った村の光と色【中篇】

ある時は紙の上に、ある時は布の上に、みずみずしく抒情豊かな色彩の世界を繰り広げる作家・伊藤尚美さん。出産を機に大阪から三重県伊賀市へアトリエを移して以来、不思議な縁に導かれるように、お隣の南山城村にも少しずつ友人が増え、親密な付き合いを続けています。そんな伊藤さんを村にお招きした2日間。村の伝統行事「田山花踊り」や、初めての柿渋染めをともに楽しんだ記憶は、今もあふれる色と光に包まれています。

伊藤尚美さん(水彩画家・テキスタイルデザイナー)

三重県生まれ。1994年の初個展以降、大阪・東京・パリにて活動を始める。2002年、水彩作品をファブリックに展開する 「nani IRO Textileをプロデュース。
2010年伊賀上野に拠点を移してからも、国内外の多彩なプロジェクトに参画している。

柿渋とnaniIROのコラボが生まれた日  

前篇のとおり、田山花踊りを楽しんだ私たちは、夕暮れ時に「柿渋のトミヤマ」にお邪魔。次なるお楽しみ「柿渋染め」についてレクチャーを受けるためです。「柿渋のトミヤマ」は、日本でもう3社しかない柿渋の製造元であり、この山城地域に根を下ろして約130年にもなる老舗。女社長の冨山敬代さんと伊藤さんはすでに顔見知りということもあって、話が弾みます。古来より染料や塗料として日本の暮らしに役立てられてきた柿渋。その魅力と、伊藤さんが作り出すnaniIROの世界をコラボさせようというたくらみに、一同ワクワクです。

そうして迎えた今日は、絶好の「染めもの日和」。〈山のテーブル〉に持ち込まれたテキスタイルの数々に、冨山さんが「素敵!」と歓声を上げます。ひとしきり相談のあと、新作の「シチュエーション」を浸染で染め、風景画のような「スペクタクル」は伸子張りを使った刷毛染めで染めることに決定。

浸染は、水で3倍量に薄めた柿渋に、濡らした生地をどぶんと漬け込み、手でまんべんなくもみ込むようにします。生地が浸されると、たちまち柿渋がまるで呼吸するようにブクブクと泡立つさまに伊藤さんもびっくり。

十分に柿渋を吸った生地を、いったん絞って天日に当てて干します。乾いてからまた浸染を重ねることで、深く濃い色合いが表現できるのだとか。

 

柿渋で染めた布って、強く丈夫になるんですよ。だから私は、何年か経って色の褪せてきた布をまた浸染して、色を重ねたりもします。そうすると本当に生地が長持ちするの

 

冨山さんの言葉の端々から、柿渋への愛情が伝わってきます。

もともとグレー系だった「シチュエーション」の生地(上)は、柿渋の色味が加わって下のような感じに。白や黒の顔料部分は染まらずそのまま浮かび上がって、柿渋の色ムラとともにクラフト感あふれる効果を醸し出しています。この新作デザインに込めたそもそもの思いを伊藤さんに聞くと…。

 

このデザインは、羽のような葉っぱのようなモチーフが連続するパターンを作ろうと思って描き始めたんだけど、同じもの描いてるつもりでも、どうしてもその時のシチュエーションが出ちゃうのよね。あ、風が吹いたな、とか、そういう状況・場面が、タッチににじみ出てくるので、ハンコのようなわけにはいかないんだ、って感じて、それでシチュエーションって名前にしたんです

 

自然の揺らぎと共鳴しながら描く、伊藤さんらしい言葉です。

布の上に、自由なにじみを描く

浸染の次は刷毛染めにチャレンジ。伸子張りという器具を使ってピンと張った生地の上に、刷毛で柿渋を乗せていきます。今回は、柿渋に黒みを足すため「松煙」の粉を加えることに。松煙とは、松の根を不完全燃焼させて作った煤(すす)で、書道の墨の材料となるものです。

こうやって、手のひらに日本酒を少しとった上で、松煙の粉末をよく練るようにしてから柿渋に加えるの

 

 

そう話しながらてきぱきと染め液を準備する冨山さんのそばで、何やら試案していた伊藤さん。黒の濃度の違う染め液を2種類作ってもらい、まず生地全体を水でたっぷり濡らします。そして、まず下地に松煙を含まない柿渋だけを塗り、その上に黒味がかった染め液を重ねるようにのせていきます。

一部塗り残しを作ったり、陰影を差したり、塗った後でさらに水を重ねてにじませたり。まるでふだん水彩を扱う時のような自然さで刷毛を動かす伊藤さんの様子を、冨山さんも目を丸くして見守ります。

 

思いつきだけでやってるんだけどね(笑)、グレーだけだと沈みそうだなと思って、柿渋らしさが下から浮かび上がってくるように、下地に柿渋を塗ってみました。混ぜちゃうより、重ねる方がいいかなと思ったんです

 

確かに、「色を重ねる」ことは伊藤さんの持ち味。ふだんも一枚のテキスタイルを作るのに、20版以上の色を重ねてプリントしているそう。思い描いたデザインを布の上に再現するためには、色の調合や染めや担当する職人さんたちとの細かいやりとりが欠かせないと言います。

ランチの小休止をはさんで、午後のアトリエ時間へ

刷毛染めが一段落すると、ちょうどお昼どき。〈山のテーブル〉が、秋色・柿色を塗り重ねるようなイメージで創作したお弁当で小休止です。

「塗り重ねる」を表現するために、柿にフランスチーズを挟んでフリットにしたり、含め煮した大根に衣をつけて揚げたり。赤ワインと味噌をきかせた鹿肉のしぐれ煮も、和と洋が重なるように溶け合う味わいに仕立てました。

 

重なりっていうテーマをこんなふうに表現するなんて!柿も入って、これはもうトミヤマさんへのラブレターよね

 

と伊藤さん。食後の柿の葉茶も大好評。村の柿の木からもらってきた葉を乾かしたものですが、まろやかでとても風味がいいのです。

 

午前中に染めた生地たちが乾くのを待つ間、伊藤さんは絵筆を取り出し、和紙に絵を描き始めます。使うのは、トミヤマがオリジナルで開発した「柿渋ペイント」という塗料。さまざまな色の顔料を柿渋で溶き、亜麻仁油などを合わせたもので、木から紙まで使えます。柿渋は、それ自体が塗料となるだけでなく、顔料と合わせれば、色を定着させるニカワのような接着剤にもなるという多才な素材なのです。その使い心地に伊藤さんも驚いた様子。

すごくスルスルと滑りがよくて描き心地がいい!私、ふだん日本画の顔料をニカワで溶いて作品に使ったりもするんだけど、これはニカワみたいに温めたり溶かしたりする手間がいらないから、すごくラク。柿渋ってほんとにいろんな使い方があるのね

 

そんな話をしながらスケッチブックを繰る伊藤さん。花踊りの日に村で見た情景の記憶を呼び覚まし、絵のモチーフに置き換えていきます。

染めあがったテキスタイルを広げて、午後のお茶を

そうこうしているうちに、染めた生地もすっかり乾いた様子。伸子張りから外した「スペクタクル」を、アウトドアテーブルの上に広げてみると、このとおり。

まるで周囲の秋景色に溶け込むような、しみじみと味わい深いお茶のテーブルに、みんな大はしゃぎ。柿渋と松煙の色味が重なり合った上に、もともとのデザインであったパールホワイトの顔料がメタリックな輝きを帯びて浮き上がる、不思議な世界。伊藤さんも目を細めてうれしそうです。
 

ムラが出てるところも、光が差しているみたいでいいね。

naniIROのnaniって、ハワイ語で“美しい”っていう意味なんです。IROは、漢字の“色”のもととなった象形文字が、あの6と9が絡み合った陰陽のマークと同じだってところに触発されて。だからnaniIROには“美しい光と影”っていう意味が込められてるんです。さらにいうとNとIは私のイニシャルでもあるしね

 

お茶のあと、冨山さんは「ほんと楽しかった、ありがとう尚美さん!」と何度も言って山を下りていきました。さてこれから、村に住む友人を伊藤さんが訪ねます。

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