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  村に息づく、木と農の文化を訪ねて【後篇】

 村域の約4分の3を山林が占める南山城村。単線の鉄道を走る電車は1時間に1本、ショッピングモールもコンビニもないけれど、ここには土があり水があり、森があり、それらが与えてくれる衣食住の文化や風景があります。土地の恵みをぐるぐる巡らせながら次につないでいく、美しい循環と再生のかたちを、やまびこ編集室が訪ねて歩きました。

 合同アトリエに生まれ変わった築80年の廃校へ

 翌日は、2003年に廃校になった旧田山小学校へ。昭和11年に建てられた築80年超の木造校舎に、現在は作家のアトリエやカフェが入居し、村の人気スポットになっています。迎えてくれたのは、現在アトリエの代表をつとめる木工作家の永尾博司さん。

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「初めてここを知ったのは2005 年か2006 年。工業デザイナーの仕事を退職してから、木工をやり始めた頃で、工房を探していました。村に廃校があるというので作家仲間数人で

来てみたら、ほかのメンバーはこんなところじゃ無理だと言ったけど、僕とあともうひと

りは借りたい、と思ったんですね。当時はかなり荒れた状態でしたが、地元の方と一緒に

片付けや修繕をしながら、ここでものづくりを始めたんです」。
 

合同アトリエの名前は「は・ど・る」。南極のペンギンが身を寄せ合ってヒナを守ったり、スポーツで円陣を組むことをさす「huddle」から来ているそう。
現在は、永尾さんを含む工芸作家4名のほか、地域活動を行ういくつかのグループが入居しています。

 

奥のアトリエに灯りがついているのが見え、私たちは中を訪ねてみることに。
ここの主は、新野洋さん。身近な自然物を採集して樹脂でかたどり、その造形美を活かして新たな小宇宙を作り上げるスタイルで、これまで国内のみならず海外でも展示を行っているアーティストです。アトリエは、大きな窓からたっぷり光が入る広い部屋。

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「僕の場合、作品に自然物を使うので、植物などを身近に採集できる環境に身を置く必要があったんです。だからこの環境はとても気に入ってますよ。冬の寒さはつらいけど、春は窓から桜が見えて、最高です。基本的にウィークデイは毎日朝から夕方までここで過ごしています」。

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机の上に並べられていたのは、サルやアナグマの骨。とある研究施設からもらってきたものだそうで、肉をすべて取り除いた後に残される骨の、精緻で清らかな佇まいにハッとさせられます。

 

「これを樹脂でかたどって、あとは並べたり組んでみたりしながら探っていこうかなと」
 

自然の造形美を見つめ、その形にまた別の意味を与えていく。そんな作品づくりにはおのずと時間がかかるといいますが、ここでならゆったりした四季の移ろいの中で、制作に没頭できるのかもしれません。

 

ものが朽ち果てるまで使う、それが人としての礼儀

続いて私たちは永尾さんの仕事場にもお邪魔。

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作品展示のギャラリーに使っている部屋には、カッティングボードやカトラリー、照明器具など、ひとつひとつ形も木味も異なる作品たちがずらり。中には違う樹種を組み合わせた作品もあります。作品づくりはまず木と向き合い、その個体を最大限に生かすことがモットー。

 

「工業デザイナーをしていた頃、木や竹を使った試作品づくりも仕事のうちで、いろんな国々から仕入れた木材を使っていたんですが、ちょっと木目に歪みや黒ずみがあると、不良品ではねられてしまうんですね。ひどい時は6割を廃棄していたぐらいで、もったいないなあという後ろめたさをずっと感じてい。人間にとっては歪みや黒ずみは欠点かもしれないけど、木にとってはただの個性で、傷でもなんでもない。
やっぱりそれは全部使ってあげて、もっと輝くようにしてあげるべきやと思うから……。
学校も同じでね、古くなったからつぶしておしまいにするんじゃなくて、別の用途を与えるなりデザインを利かせるなりして活かしてやる。ものがほんまに朽ち果てるまで使ってあげるのが礼儀やと思うんです。」

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村で古民家が解体されると聞いて、木を引き取りに行ったことも何度か。工房では小さな木切れも、いつか日の目を見る時のため、捨てずにとってあります。旧校舎のあちこちに、かつて学校で使われていた道具類や、生徒たちの卒業制作が残されているのも、永尾さんなりの「ものへの礼儀」の表し方なのでしょう。

やさしい時間が流れる「カフェねこぱん」にて

そうこうしているうちにお昼どきになり、私たちは校舎内にある「カフェねこぱん」へ。

ここを切り盛りするのは、永尾さんの妻である寿子さんと娘の夏来さん。カフェメニューのほか、自家製カレーやベーグル、デリ各種が楽しめるランチプレートもあります。

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ランチプレートに使われているトレイは、なんと小学校の粘土板をきれいに洗い、表面を削ったもの。使えるものを活かしきる、その心づかいがさすがです。食事をいただきながら、少しばかり寿子さんと夏来さんにもお話を伺いました。

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「初めてここを見た時、かわいい木造校舎に私もひと目ぼれしてしまって。主人たちがここで活動を始めた時、せっかく訪ねてこられる方がいても、ちょっと休憩できる場所が近隣に一切なくて、何のおもてなしもなしにお帰りいただくのは寂しいと思ったんですね。

もともとカフェに行くのは好きだったので、自分もここで何かできるなら、という思いでした」
 

カフェ立ち上げ当初は大学生だった夏来さんが社会人となり、カフェ運営に加わったことで、メニューの幅も増えました。もともと自然が好きだったという夏来さんはこんな風に話します。
 

「ここにクルマで通う道すがら、日々表情を変える川沿いの自然がとっても素敵で、鳥たちの姿も見えて、飽きることがなくて。親しくなった近隣の方々にお野菜をいただいたりもするんですけど、それがすごくおいしいんです。町にいると旬を意識することも少ないけれど、ここでは旬がダイレクトにわかるし、それをどう使おうか考えるのが楽しいです」
 

ここに通うようになって、村のイメージが変わった、というのが永尾親子の共通した意見。

 

「生活の質が高いですよね。都会で勤めている時は、村なんて田舎だと思っていたけど、実際来てみたら、暮らしは豊かで文化度も高い。みんな仕事も遊びもすごく楽しんでらっしゃるんですよね」

 

そう話す永尾さんが、とくに恩義を感じているひとりが、地元の茶農家・北本為治さん。永尾さんが最初にここに見学に訪れた際に、数人の有志とともに荒れ果てた校舎内を片づけていた方でした。今日はそんな北本さんにもお話を伺えることになっています。

「地域を守る」とは―86歳の思い

杖をついた北本さんが現れると、永尾さんが歩み寄ってふたりは固い握手を交わします。今年86歳になる北本さんにとって、ここはかつて自分自身も通った思い出深い母校。

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「私な、ここが廃校になって、荒れていくのが見ておられんで、“田山伝承クラブ”を作って、校舎の掃除をしとったんです。そこへ永尾さんが“使いたい”と言ってこられて、一緒に掃除したり屋根を直したりペンキを塗ったり、手間ひま惜しまずやってくれたおかげで、イベントもできるようになったし、村の人だけでなしにいろんな人が注目してくれるようになって。ほんまに感謝してるんです」

 

永尾さんも続けます。

「北本さんは当時から今でいう6次化産業みたいなことにも取り組んでおられて、すごく先見の明のある方。村全体のことも考えておられて、初めて会った時からすごくパワフルな人、という印象でした」

 

校舎の一角にある「田山伝承クラブ」の部屋には、昔の暮らしを語り伝えるために北本さんたちが特注した模型のほか、古い民具やわら細工、火消しに活躍した消防車など貴重な資料がいっぱいです。

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かつて村でも養蚕が盛んだったこと。あちこちで亜炭(石炭の代替物)が採掘され、トロッコで運ばれていたこと。神社やお寺で行事がある時は、村民が重箱に料理を詰めて持ち寄り、「籠り(こもり)」と称する集いを楽しんだこと。芝居や映画もちょくちょくあって、そのたびに大にぎわいだったこと……。田山地区の歴史の語り部として、かつての情景をひとつひとつ思い出しながら語ってくださる北本さん。

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今はメンバーの高齢化によって開催がむずかしくなっていますが、数年前まで「田山伝承クラブ」ではわら細工の講習会も活発に行っていました。昔取った杵柄で、わらじづくりを少し実演してくださった北本さん。手のひらでわらを揉みつつ撚り上げていく、無駄のない動きに目が釘付けになります。


「わらは布団になり、むしろになり、しめ縄にもわらじにも畳の芯にもなった。わらでどんだけ生活の用を足していたか。言い換えれば、それだけ米が作られていて、その副産物であるわらをうまく活かしていたわけ。わらを燃やした灰は肥料にもあく抜きにも使ったしな」

 

少年の頃から、一家の働き手としてこの地で田や畑とともに生きてきた北本さん。「地域を守る」ということにかけても、思いは人一倍です。

「地域を守ろうと思ったら、食えればいいだけではのうて、そこに伝統や文化がないと」

その言葉は、私たちの心に深くずっしり響く余韻を残したのでした。

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〈完〉 
 

カフェねこぱんウェブサイト:
http://cafenekopan.com/

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