top of page

伊藤尚美さんが出会った村の光と色【後篇】

ある時は紙の上に、ある時は布の上に、みずみずしく抒情豊かな色彩の世界を繰り広げる作家・伊藤尚美さん。出産を機に大阪から三重県伊賀市へアトリエを移して以来、不思議な縁に導かれるように、お隣の南山城村にも少しずつ友人が増え、親密な付き合いを続けています。そんな伊藤さんを村にお招きした2日間。村の伝統行事「田山花踊り」や、初めての柿渋染めをともに楽しんだ記憶は、今もあふれる色と光に包まれています。

伊藤尚美さん(水彩画家・テキスタイルデザイナー)

三重県生まれ。1994年の初個展以降、大阪・東京・パリにて活動を始める。2002年、水彩作品をファブリックに展開する 「nani IRO Textileをプロデュース。
2010年伊賀上野に拠点を移してからも、国内外の多彩なプロジェクトに参画している。

村に住む切り絵作家・萩原桂子さんのおうちへ

短い秋の日が少し夕暮れに近づく頃、伊藤さんと<山のテーブル>一行は、童仙房地区に住む切り絵作家の萩原桂子さんのお宅へ。萩原さんと伊藤さんは、3年ほど前に南山城村のギャラリー<arabon>で、伊藤さんの水彩画ワークショップが開かれた際のプレイベントに、萩原さんが親子で参加して以来のお付き合い。同じ先生にウクレレを習った演奏仲間でもあります。萩原さんが切り絵を始めたのは、家族で南山城村に移住した2013年以降のことだとか。

「私、もともと大学で染織を専攻してたんです。型染めの授業だと、まず型紙を彫る作業からやるんですけど、その作業がすごく好きで…。切り絵との接点はそこですね。でも染織を志してたし、自分でもどこかこだわりがあったんかな、卒業後も何かしら布と染織には関わってはいたけど、子どもを産んでからは、染織のいろんな工程をこなすのがむずかしくなってしまって。それで一時期ものづくりから離れてたけど、こっちに来てから、また何かやりたい、って思った時に、そうや、切り絵をやろう、と」

 

切り絵を作る前には必ず下絵を描くという萩原さん。スケッチブックに描かれたごく繊細な下絵と、それを忠実に切り抜いて生まれる作品に、一同思わず息を呑みます。

「私はとにかく下絵に忠実に紙を切りたいタイプ。私、これまで自分で絵が描けるとか、得意だなんて思ったことなんてなかったけど、切り絵をするようになってからすごく必死で絵を描くようになって。でも描くのはやっぱりエネルギーいるから、スケッチを溜めておくってことはないなあ。一枚描き終えたら、絶対切る。切りたいんです(笑)それまでのスイッチをオフにして、何も考えずに切る、それが快感なんです。」

無心で紙を切る、その姿に驚き

そこで伊藤さんと私たちは、萩原さんが紙を切るところを見せていただくことに。台所のテーブルに向かって座り、手元をランプで照らす萩原さん。作品に使うのは、柿渋を塗った和紙。ここでも柿渋が活躍していることに、一同顔を見合わせてびっくり。原画のコピーを取って和紙に重ね、原画をなぞるように細い細工用カッターで切っていきます。

「やーん、けいちゃん!すごい」

と伊藤さんもその細かさにびっくり。

 

「私は、この作業ですっごい解き放たれて、癒されてるんです。ハイになるっていうのとは違って、落ち着くというか…。自分でもおかしいなって思うんやけど。染織やってる時も、ここまで作業に没頭できてなかったと思う。型紙彫ってる時は楽しくても、さあ染めるぞ、ってなると、ちょっとしんどくなってしまったりしてたから。でも私、これだったら1日中やってられる。毎日わりと忙しくて、なかなかまとまった時間は取れないけど、ちょっとしたすき間時間の10分とかでも、ちょこちょこやってますね。和紙をさくさく切る手ごたえが気持ちいいし、くり抜いた紙がパキッと外れる瞬間も楽しくて。用事がある時も、よし、これを頑張って終わらせて、切り絵をするぞ、っていう感じ」

 

じっと見つめていた伊藤さんが、感に堪えないようにつぶやきます。

「けいちゃん…。素敵な、変態的な天才やね。けいちゃんにとっては、こうしてる時が、一番安定してる状態なんやね。辛いとかしんどいとかじゃなく」

 

下書きを一切せず、ひらめきに任せて絵筆を走らせる伊藤さん。集中して絵を描く時間と、解き放たれて紙を切る時間を行き来する萩原さん。それぞれが自分らしさを活かす道を見つけ、創作活動に打ち込んでいることを思うと、なんだか胸が打たれる思いがします。

 

伊藤さんと過ごした2日間。伊藤さんと南山城村の不思議な縁を感じながら、いつにもまして、山の景色がみずみずしく心に沁み込んでくるような気がしたのでした。

Photo Gallery

bottom of page